廃墟ガールを謳っていますが、軍艦島には行けたことがありません。
いつか軍艦島と九龍城(もうありません)とポンペイに行くのが夢です。
で、軍艦島には行けなかったけど池島には行けました。最高でした。
*基本データ
場所:長崎県長崎市(フェリー使用)
行った日:2015/08/14
廃墟になった日:2001年閉鉱
詳しく:軍艦島と同じく、炭鉱。異なる点は、人工的に作られた訳ではなく元々あった島で、小さな漁村だった。現在の人口は200人未満といわれている。
http://www.city.nagasaki.lg.jp/shimin/121000/121200/p027560.html
*評価
怖さ:★★☆☆☆
廃れさ:★★★★☆
入りやすさ:★☆☆☆☆
*あれこれ
最高です。また絶対行きたい場所です。
確かにアクセスはお馴染みの「フェリー→島」なので悪いです。
フェリー乗り場までも長崎空港から車でした。
ただ、ついた途端これです。
これです。
もう、わたしの求めていたものはこれなんだと言わんばかりの廃れ具合。
軍艦島との違いは上述した天然島というところと、もうひとつはまだひとが住んでいるというところです。
全長4キロ、2時間あれば一周できる小さな島に200人弱が住んでいます。
これ、建物の廃れ具合を延々と褒めたたえても良いのですが、この環境で暮らしている人たちの生き方にどうしても気がいってしまいますね。
電車ない、飲食店が島にひとつ、公園ない、高校ない(高校生はどうするのでしょう、フェリー通?)、オフィスない、マンションない、美容院ない、コンビニない、塾ない、銀行ない、娯楽施設ない。
売店が2つか3つ、信号が島内にひとつ、池島小中学校(という学校)がひとつ、診療所、理髪店やお店とみられる廃墟がいくつか。
(これはあります。何でしょう。)
たとえばここで生まれ育って、9年間同じ校舎で学んで、高校生になってはじめて外の世界と関わりを持ったときの衝撃って計り知れません。
そして、今でこそわたしの出身高校の一学年の人数よりも少ない人口ですが、炭鉱全盛期には7200人もの方々がここに暮らしていたそうです。
ですので、軍艦島同様、規格が同じ団地群がばかすか建ってます。
至るところに団地、団地、団地です。
九龍城に惹かれる理由として、増築改築を繰り返したハチャメチャな出で立ち、シルエット、その一見すると不便そうにみえる空間の活用法に非常に興味があるからなのですが、団地も例に漏れません。
(露天風呂もありました)
現代の建売住宅や異国風を模した注文住宅も素敵です。実際おフランスのアパルトマンのようなお住まいや、地下室のあるお家に憧れます。。地下に暗室をつくってフィルムカメラをやるのがわたしの人生の目標のひとつです。
ただ、そんな洗練された住居にはないごった返した雰囲気、雑多で混沌とした密度の多いまま、ぎゅっと時間を止めて朽ちていく様は、たとえ現代住宅が空き家になっても現れないと思います。
7200人ものひとが暮らしていたときは当然こどもたちもたくさんいたであろうし、「池島小中学校」も「池島小学校」と「池島中学校」だったようです。
クラス全員とか、職場の人全員の家の間取りが一緒ってとてつもないですよね。
住所も記号が違うだけ。団地の中でも新しく建った団地街はハイソでなんとなくカーストの上にいられるとか、そういった事情もあったのでしょうか。不倫や交際はすぐばれそうです。結局娯楽施設があるわけではないので、炭鉱で仕事をして、団地へ帰るだけ‥‥
昔は昔で異様な場所だったかと思います。そして、これらの設備が稼働しなくなったいま、廃墟と隣り合わせの住民たち。
ほんとに、蔦に覆われた団地のぽつんと1室、カーテンが揺れていたり、タオルが干してあったりするのです。廃墟の中で生きているひとがいるのです。
どちらも島の外の人間からすれば、非日常なのです。
昔と今の暮らしを考えさせられる深い地、池島です。是非また行きたいです。個人的にですがいつか空き団地を利用した民宿がオープンしたり、おしゃれな喫茶店とかバーがオープンしたりしたら面白いのになと思ってます。
*おまけ
唯一の飲食店(おうどんなど食べられる)が改装中だかなんだかだった当時、ベニヤ板が一面貼ってある場所に記念落書きし放題でした。
趣味は廃墟と、献血です。