*基本データ
行った日:2025/10/12
廃墟になった日:2011/03/11
詳しく:職員や工事関係者の避難場所となった高校跡地。地震発生時に学校にいた生徒や職員含め全員が無事避難できた。震災遺構・伝承館として地震について伝える目的で保管、公開されている。
*評価
怖さ:★★★★★
廃れさ:★★★★★
見つけやすさ:★☆☆☆☆
*あれこれ
最後の記事はかなり大切な場所です。あえてありのまま残されている景色を、そのままメモしておこうと思います。どこかで書いたかもしれませんが、当日わたしは新宿駅の献血センターにいました。自動ドアがぐわんぐわんと歪んで、職員のかたが抑えて、献血中の方にお声をかけていらっしゃいました。外に出ると人がわんさか歩き回っていて、人だらけの横断歩道ですれ違ったひとが「結局これどこに向かってるんだろうね」と言っていたのを覚えています。その日は都庁に避難しました。自分の人生の中では、の話ですが、これだけでもかなりの衝撃的な経験でした。当時はまだ実家に住んでいて、早朝に帰って出迎えてくれた母親と抱き合いました。もちろん都内のお話で、比べられることではありません。色々な場所でいろいろなことが起きていたのだろう、15年近く経っても痛感できる施設でした。
(cf.バックナンバー→その728:高野会館【雨降り宮城1/4】 - 廃墟ガールの廃ログ、その729:旧阿部家【雨降り宮城2/4】 - 廃墟ガールの廃ログ、その730: 第146震洋隊基地跡【雨降り宮城3/4】 - 廃墟ガールの廃ログ)



ここが音楽室、ということではなくて、どこかから流れてきたのではないかなと思います。





後ろに黒板がありました。



青いタイルの部分は蛇口でしょうか? 水場のある校長室って珍しい気がしました。



ここは3階です。波で届いた錆車が柱につっかえてこのままになったそうです。校舎見学の前に映像を見るのですが、そこで感じたのは津波の真の脅威は水単体ではなく、水で流れてくる瓦礫やガスタンクや電柱などなのだということでした。業務用の冷凍庫が流れてきて壁を削ったり、車を柔らかいものにしてしまったりします。それから押し波と引き波があって、山をぐんぐん昇っていったあとに道中で飲み込んだり薙ぎ倒したりしたものたちを引き連れて海へと戻っていくことも学びました。水が昇るなんて想像もしていませんでした。引力に恐怖を覚えたのは初めてです。


磨かれて飾られていたのだと思われます。


ぶら下がるスイッチくん。






屋上にも出ました。室内運動場が見えます。


さっき書きました冷凍工場のぶつかり跡はこちらです。




見るべき場所だったと感じます。宮城編、これにておしまいです。
*おまけ
おまけは美味しいと楽しいを載せておきましょう。まずは美味しいから。



オクティくんがいろんな画面に映ってくれました。最後のアイスはゆめかわの色味で、オクティの出身「コットンキャンディの香りのバスボム」と近いものを感じるため、心なしか喜んでいます。


楽しいはゲームコーナです。コーナーではなくコーナ、大好きな森博嗣先生の表記です。見たことない筐体で遊んだり王道太鼓の達人したりしました。