湿度低く涼しかった岩手編、しばらく更新していなかったのは最後が遺構だったためです。津々浦々旅をしていれば、いつかは巡り会うだろうと思っていましたが、訪れたところで撮った写真をメモする(記事にする)、をいつも通りすることとします。お喋りは控えめに、写真たちを並べて記録します。(cf.バックナンバー→その653:大久保旅館とその周辺【からっと岩手1/6】 - 廃墟ガールの廃ログ、その654:松尾鉱山&ガラスパーク【からっと岩手2/6】 - 廃墟ガールの廃ログ、その655:JACK&BETTY&American World【からっと岩手3/6】 - 廃墟ガールの廃ログ、その656:台温泉散歩【からっと岩手4/6】 - 廃墟ガールの廃ログ、その657:釜石鉱山【からっと岩手5/6】 - 廃墟ガールの廃ログ)
*①旧祭畤大橋
場所:岩手県一関市厳美町祭畤(げんびちょうまつるべ)
行った日:2024/07/14
廃墟になった日:2008/06/14
詳しく:まつるべ。1978年に完成した鋼製の橋。岩手・宮城内陸地震による地すべりで崩壊した。現在は2代目大橋が国道342号線を繋いでいる。
有珠山のように被災後の状況を伝えるべく保存されている場所です。(cf.噴火後の研究→その587:避暑失敗北海道㉒ - 廃墟ガールの廃ログ)
白線やデリネーターが。
見学路はここまでです。
前情報がなければこれが橋だとは気づかないかもしれません。(cf.人気の廃橋その645: 旧柴崎橋&廿三万石ドライブイン&コインスナック・ルート49【廃れて。福島1/7】 - 廃墟ガールの廃ログ)
もうひとつ近くに使われていなそうな橋もありました。この子は祭畤橋というそうです。
*②タピック45
行った日:2024/07/14
詳しく:国道45号線沿いにある道の駅。1991年に津波避難施設も兼ねて造られた。
道の駅横に位置した物産館だそうです。
この直角三角形には意味があるのですね。
ステージかなにかでしょうか。
落ちて曲がっている看板には「津波に注意しましょう」と読めます。
表側まできました。
津波到達地点に印がついています。建物の2/3くらいのところでしょうか。正面中央には階段がついていたそうです。
行った日:2024/07/14
詳しく:1969年に建てられた2階建て鉄筋コンクリート造の宿泊施設。2011年1月から休館していたため、当日は無人だった。奇跡の一本松のすぐ近く。
この目で実物を見ることが生涯あるとは思ってもみませんでした。感慨深いです。とともに、勉強不足で枯死してしまっているのを知りませんでした。この松を輪切りにしたひと切れが、つい先日訪れたURのミュージアムに展示されていました。どこで縁が繋がるかわからないものです。
2ヶ月前からちょうど休館していたなんて。
危うい形のままです。
*④陸前高田市立気仙中学校
行った日:2024/07/14
詳しく:1947年に創立後1955年に市町村合併により陸前高田市立となった中学校。屋上まで津波が到達した。
こうやって写真で眺めると、夏休みで登校生徒がいない校舎のよう。でもこの辺一帯を歩くと確かに、勘違いかもしれませんが、すこしだけ時間の留まりを感じる空気が流れているように思います。
中の看板については道の駅同様に見学ツアーに申し込むといろいろと説明をいただけるようです。
*⑤下宿定住促進住宅
行った日:2024/07/14
詳しく:国道45号線沿いに建つ5階建ての集合住宅。本来は2棟あり、海沿いの1棟のみが保存されている。
近くに建てられた案内板で写真を拝見しましたが、この棟が防波堤のようになって、奥に当時建っていたもう1棟はもっときれいな状態でした。
どこまでが空で、どこからが地上の緑か、こんなにきれいに見えることはないでしょう。
冷蔵庫がそのままになっています。
反対側です。
階段。
*おまけ
フィルムカメラで撮った写真が出てきました。ちょっと色味が危うい――フィルムの撮り切り間際に撮られたもので、カメラからフィルムを外すときに若干巻き取りが甘かったのが原因かと思います――ですが、味のある1枚です。