廃墟ガールの廃ログ

廃墟散歩の備忘録

その641:【上陸】端島【ゴールデン長崎4/7】

 

 

*基本データ

 

場所:長崎県長崎市高島町2

行った日:2024/05/05

廃墟になった日:1974/04/20

詳しく:1810年に石炭が発見され、1869年から炭坑開発。1916年には日本初の鉄筋アパートが完成。数多くの人が住む人工島となり、6回島自体の増築を繰り返した。軍艦「土佐」に似たシルエット。

 


*評価

 

怖さ:★★★★‪☆

廃れさ:★★★★★★★★★★

見つけやすさ:★☆☆☆☆

 


*あれこれ

 

(長崎編バックナンバー→その638:踊石新町公民館&サンライズ【ゴールデン長崎1/7】 - 廃墟ガールの廃ログその639:【メルヘン村メルヘン村メルヘン村】十文野減圧井&坂【ゴールデン長崎2/7】 - 廃墟ガールの廃ログその640:廃船& 寮【ゴールデン長崎3/7】 - 廃墟ガールの廃ログ)

ブログを始めたのは2017年夏のことです。廃墟に初めて訪れたのは2010年くらいのことです。この訪問はわりかし下衆な動機で、刹那やノスタルジィよりも話題性とエンタメが主目的でした。ただ家の近所にその2:住居跡【千葉県松戸市】 - 廃墟ガールの廃ログがあって、散歩をしたぶんだけ通っていたので、無機質な人工物がじっくり廃れて自然に還ってゆこうとするさまと、散らされた植物たちがゆっくり根を広げるさま、そのおそろしく速度の遅い2つの曲線が交わって逆転していくのを観察することに、なぜだか惹かれたものでした――おそらくコンクリ打ちっぱなしと未成物件が好きなのだと思います、当時はそんな名前すら知りませんでしたけれど――それが「廃墟」というカテゴリだと知るのはもうすこしあと、軍艦島の上陸ツアーが特集され始めた頃合です。

 

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何度か書いていますが、九龍城とポンペイ軍艦島に行くのが夢でした。簡単にはそう行けない場所ですから、軍艦島ではなくてその8:池島【画像大量】 - 廃墟ガールの廃ログに、九龍城ではなくてその24:ウェアハウス川崎【ついに九龍城】 - 廃墟ガールの廃ログに行ったりしました。結果池島は大好きになり、再訪を果たすのですがそれはまた別の記事にて。

 

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前日のピーカン照りが嘘のようにどんより曇り、のぼりがはためいています。風速や波の高さなどいくつかの規定が設けられており、安全に上陸できるラインだそうです。ひとつでも規定値オーバーの場合、上陸はせずに船で軍艦島を周遊するコースに切り替わります。

 

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大きな船でした。が、わりかし揺れます。その12:【ラピュタ島】友ヶ島【画像大量】 - 廃墟ガールの廃ログのときのフェリーを思い出しました。自由席先着順で2階は人気だったので1階の真ん中のシートに座っていましたが、大きな波をかきわけると台風並にガラスに水が流れます。雨降っていません。

出発時のアナウンスでは、現時点でドルフィン桟橋では規定値オーバーの数字が出ているとのことでした。従ってこのままゆれゆれして終わると諦めながら船におりました。桟橋について、プロのかたがたがプロの道具と手つきでスマートに準備を進め、正確に計測するのにけっこうな時間がかかるのだなと頷いていたら、計測器のような道具はとっくにしまわれ、入口に即席のタラップが取りつけられていました。準備はとっくに上陸、のフェーズでした。

上陸、でした。規定値内のため上陸できるとアナウンスがあった際には、ツアー参加の乗船客からわあっと歓声があがりました。無言で隣の同行者さんを見ました。軍艦島に、上陸できるのです。こんなにも荒い波に船体は掬われているのに、次々と我先に立ち上がるほかのお客さんに混じって、上下する船を出ました。ほんとうに、上陸するのです。

 

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足元の揺れがなくなりました。


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たくさんの参加者がいらっしゃいます。風や波の状態からいつ切り上げて引き返しになるかわかりません。ひとの流れでどんどんと、整備されたコンクリの道へと入ってゆきました。暴風の中、ひんやりとしていました。

 

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幾度となくメディアや写真集で見た景色が目の前にありました。なんと、上陸できたのです。


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ツアーですから自由に撮れる時間はそうありません。ガイドさんのお話も始まります。その合間や、3チームにわかれて3つの見学スポットを移動する合間に、写真を撮ります。気づけば30分の上陸時間で100枚以上の写真を撮っていましたが、どれもこれも同じような構図ばかりでした。ちゃんと自分の目で見るのも大事ですから、1枚いちまいろくに設定せずでぱしゃぱしゃしているだけです。それでも、勿体ない気持ちが大きくて、100枚ぶん削除できないでいます。


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島にいる間、ずっと目を丸くして、すごいすごいとつぶやくだけになっておりました。どうしよう、とも何度も言っていた気がします。上陸のドラマから休憩なしでこの景色が続くわけなので、そりゃどうしようにもなります。終末感を堪能して大はしゃぎすると予想していたのですが、自然の恐怖からのあっという間の上陸で、正直しばらく現実味がなかったのです。


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でも、ちゃんといます。


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現実味がないといえば、無人島の静けさは相当なものでした。200人くらいツアー参加者がいたと思うのですが、そんなに人間がどかどか入りこんでも、かつての暮らしのあとやひとの気配は皆無でした。無機質の極み。無人島になって50年以上ですから当然といえば突然ですが、廃墟というより史跡でした。池島も、もし今後住む人がいなくなってしまったら、こうなるのでしょうか。ほんとうにここに、世界一の人口密度で人間が住んでいたのでしょうか。いま見える景色とのとてつもないギャップにはすこし怖さを覚えてしまいます。


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せっかくなのでぶたちゃんも記念撮影。


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カメラで寄ったら奥の建物もきれいに写ります。小中学校です。


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写りこまないように写真を撮ってきましたが、実際はこんな感じでございます。緑色のキャップをかぶっているのがガイドのお方。時間がない中、きびきびと、ときには感情豊かに、説明をくださいました。

 

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ガイドさんのお話をいまだに覚醒していない、またはアドレナリンが出すぎてぼんやりしている頭で聞きながら、高くなっている島中心方面に鳥がとまっているのを発見しました。鳥は撮れませんでしたが、こんな画角です。人間はいないけど鳥は簡単に上陸するんだ……と当たり前のことですが見上げながら思いました。

 

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まだこの空間にいたいけど、時間があるので次の見学スポットへ。3チームが交替で見てゆくスタイルです。

 

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全貌を撮り忘れまして、これも撮ってもらったやつなのですが、まあるくかわいらしいシルエットの建物がありました。これはクレーンの台座なのだそうです。かわいー! って近寄ってたら係員さんが教えてくださいました。


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レンガの配置は史跡というより遺跡風です。


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お次は炭鉱の入口ゾーン。

 

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軍艦島特有の赤いレンガが目立ちます。そういえば上陸以来緑とコンクリ色しか見てきていません。もっと壁が広がってきちんとした建物だったのでしょうけど、いまは映画のセットのようにこの一面だけが修復されていました。


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撮ってもらいました。


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が、ガイド中はこんなです。上の写真は消しゴムマジックではなくて、すべてのスポットをめぐり終わった帰りに急いで撮ったものなのでした。


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鉱山が稼働していたときの軍艦島その581:避暑失敗北海道⑦ - 廃墟ガールの廃ログでも学んだように3交替制で24時間稼働していたため暗闇になることがなく、灯台は不要だったのだそうです。島の上にあるこの灯台は閉山してからできて、現在2代目なのだそう。建設過程を想像するとぞっとします。

 

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このあたりから地下へ入って採掘をしていたそうです。炭鉱夫専用の浴場もあり、地上に出てきたらまずはお風呂で煤(すす)を落としたのだとか。島内にそもそも浴場は3つしかなく、その1つが炭鉱夫専用のここにあったのだそうです。ついでに団地はトイレも共用で各階にあったそうです。


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刹那の配置です。


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上陸できない日はもっと風が荒れ狂って吹いているでしょうから、そんな中で何年も建っていると考えたら、むしろ好状態なのかもしれません。


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左端が次の見学スポットへの通路です。ちいさくほかの参加者さまがお写真を撮っているのが写っています。


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はじにも見えていますが、次へ進みます。

 

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3つめの見学スポットです。おそらく、「といえば」はここなのではないでしょうか。ご多分にもれずわたしもここが1番好きです。


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この手前のこじんまりした子は下請業者の住宅。元請け先のひとたちとおんなじ学校に通っておんなじ場所で買い物するときに、なにか気まずさはあるのかななどと話しました。

 

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外階段の斜めの危うさとこの規模感が好みです。


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向こうが見えます。向こうもコンクリ団地です。

 

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良き眺め哉。


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ここの見学スポットは行き止まりで奥に団地が見えるような格好のため、最先端に進んでいかなければ人間の写らない団地群を撮ることはできません。別に写真が最大目的ではないので、撮れなくたっていいのです。


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ただ見える景色は異世界でした。え、ここ、こんなところに、実際に地続きで足を踏み入れられたの? いまあの建物たちと繋がっているの? と、ここでも疑問になるくらいです。


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凄まじいです。でも、なんとなく、これを見に来たんだなと感じます。


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もう最後のスポットで、係員のみなさんは風向きや強さを手を挙げて測るジェスチャをしたりと、一触即発の雰囲気の中、ガイドさんが声をあげます。ここが山場かのように、日本初の鉄筋高層住宅は100年以上前にできたこと、ここに5300人以上が住んでいたことなど、基本情報を話します。感情も心なしか入っているように聞こえます。

それもそのはず、なんと、ガイドさんは数年間だけですが、実際に島にお住まいだったんですって! なんてお方!!10mもある島を囲む防波堤を超えて波が来ることがあり、潮降町(しおふりちょう)と呼ばれていたこと、炭鉱の安全や効率性を優先すべく、作業場は島の入口側――は比較的波が穏やか側なんだとか――にあって、団地のある住居側は激しめ地域のため、みんなで波が引くのを待っていまだ! と買い物に出かけること、島にはなんでも揃っていて――お買い物する場所や美容室、病院、映画館、公園などのことでしょう――ほんとうに住みよい場所だったこと、部屋がひしめいているので火事には細心の注意を払っていたこと、島にエレベーターはないが幼稚園生もみんなで屋上まで毎日登園していたこと、力強く語ってくださいました。経験者の言葉はどんな学者よりも信憑性がある、最たる例でした。すごくかわいらしい、愛しいおばあさまでした。ありがたいお話をありがとうこざいます。

 

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そして、離陸です。着いてすぐにも同じような写真を撮ったけど、またも撮る。


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数字の話だけしていいのなら、30分は短すぎます。もうこのときにはしっかり上陸の自覚があって、名残惜しい気持ちでいっぱいでした。

 

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行きと趣向を変えて2階に座りました。テントが張ってあるデッキ席です。島は遠くなります。周遊の始まりです。

 

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小さな島でした。上陸した際にも感じましたが、まあコンパクトなのです。


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団地ゾーンにも近づいてくださいます。


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圧巻です、お見事です。これは降参です、敵いません。たくさん人が住んでいたことを思い知らされる光景です。どういう構造になっているのかてんでわかりません。なんてことなの。


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潮風と飛んでくる波飛沫で全身ぐちゃぐちゃにしながら、オールバックで写真を撮って、眺めてします。


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白い波を残して、今度こそほんとうにお別れです。ありがとうありがとうございました。この写真で見えるかどうか、実はうしろに小さな船があります。この船も軍艦島上陸ツアーを運営されている別の会社様のものです。出発のときに見かけました。ただ、もう規定値オーバーだったのか、ドルフィン桟橋に近づいたあとは踵を返してあとをついてきている状況でした。


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行きの船の中、まあまた来ればいいよと話しました。上陸はできずに周遊だけになると諦めていたからです。上陸後の帰りの船の中、また来たいと話しました。結局、また行きたいのには変わりがないのです。

そもそもずっと夢見ておきながら、ツアー参加への腰の重さとほかに行きたい廃墟を天秤にかけ続け、ずっとあとまわしにしていた場所でした。世界遺産にも登録され、劣化も進み、そろそろツアー自体も終了してしまうのではないかとほんのり感じたのです。それで参加してみました。いろいろな企業が上陸ツアーをしていますが、参加したところが出されているデータでは、春の上陸率は平均おおよそ半分くらいです。夏の台風の時期だと20%切る月もあるようです。ガイドさんも、こんな悪天候でも上陸できたみなさんは非常にラッキーです、なぜなら、3回連続で行けなかったひとなんかもざらにいるからです、と声を大にして仰っていました。それこそ強風の嵐のように衝撃の連続で、終末感に頭を殴られっぱなしのツアーでした。繊細で豪快で、美しくも恐ろしくもあります。上陸したてはあんなに現実味がなかったのに、もういまではこんなちいさなコンクリの島から絶大なエネルギィを感じていました。

 

最近時間に追われて若干やっつけになっているブログですが、どんなに飾らずまとまらない文章でもいいから、軍艦島はしっかり書こうと決めていました。写真も大量、とりとめのない文章もながながになってしまいましたけど、いつでも読み返してまた島へ冒険できればと思います。