北の大地北海道編、やっとすこし終わりが見えてきました。が、ここから2つは大物が続きます。(cf.バックナンバ→その578:避暑失敗北海道①② - 廃墟ガールの廃ログ、その579:避暑失敗北海道③ - 廃墟ガールの廃ログ、その580:避暑失敗北海道④⑤⑥ - 廃墟ガールの廃ログ、その581:避暑失敗北海道⑦ - 廃墟ガールの廃ログ、その582:避暑失敗北海道⑧⑨⑩ - 廃墟ガールの廃ログ、その583:避暑失敗北海道⑪⑫⑬ - 廃墟ガールの廃ログ、その584:避暑失敗北海道⑭⑮⑯ - 廃墟ガールの廃ログ、その585:避暑失敗北海道⑰⑱⑲ - 廃墟ガールの廃ログ)
まずは駅近にあるこちらの建物です。「ラ」の横棒が面白い方向に斜めになっています。全体的にまるこくてかわいいです。
すこし中心からずれたところにCOREが入っています。
お隣の建物と、道路のマンホールにはoがサッカーボールのクジラくんが。室蘭のキャラクタでしょうか?
落とし物もありました。
さて赤平炭鉱に次ぐ目玉です、こちらもばっちり見学ツアーを申し込んだので写真と文章が膨大になる予想。円形校舎が2つ繋がった全国的に見ても貴重な小学校跡です。入口・受付は普通教室の校舎棟、特別教室のある体育館棟は見学ツアー申し込みしないと入れません。
まだ写真追加していませんが、先日タイミング良くその15:旧下谷小学校【東京都台東区】 - 廃墟ガールの廃ログ(もう解体済カテゴリ入れられているけどまだありました)も見学することができ、廃校潜入のひとみたいになっています。
玄関はいたって普通のノスタルジック小学校玄関。
玄関入って左手が校舎棟で、まずはツアー開始までこちらを。ちなみにTEAM NACSの安田さんの母校だそうです。そういう意味で聖地巡礼される方もいらっしゃるのだとか。わたしは戸次さんが好きです。
これはガイドさんから聞いた話で、まずこちらの校舎棟ができたあとにお隣の体育館棟を作って繋いだから、はじめは校舎棟だけの同室した円形校舎だった。その名残の、1棟だけだったときの外側の線が見えるとのこと。言われなければ劣化のひびとして片付けていた、すごい!
児童数が激増し、突貫で造り上げた(先にできた校舎棟はまさかの工期半年間! 建設業界に携わっていなくても破天荒なスケジュールであることがわかる)ため、セメントを固めるときに猫ちゃんがお邪魔してしまった痕跡が残っています。なんだか尾道みたい。体育館棟にある理科室には現役当時、奇形の猫のホルマリン漬けがあったそうで、絵鞆小七不思議としてこの足跡は怖がられていたのだとか……おもしろい! (cf.猫の細道→その529:しらゆり荘+α【爆走海道4-6/6】 - 廃墟ガールの廃ログ)
紳士淑女のシルエットが貼ってあるトイレ。
一旦落ち着こう? ということであえて脇や端からなつかしアイテムを撮ります。もういいかい?
空間の中央に陣取る螺旋にそろそろ対峙しましょうか。学校でこれは、正直ずるい。
ただの移動手段なのに、へばりついて何枚も写真を撮ってしまう。
螺旋階段が当然と思って6年間過ごしてしまう児童ちゃんたち、中学にあがったらなんて贅沢なカルチャーショック! 校舎棟円柱の中央は螺旋で、端っこは普通の階段です。小話として、最盛期の絵鞆小学校の児童数は1600名! 嘘でしょ? 校舎棟は1フロア6教室3階分よ??? 体育館棟入れたってそう増えないよ??? 当然児童が溢れているので、交通規制としてこの螺旋階段は上り専用だった時代があるそう。ひぇ……プラス、手すりや螺旋を取りまく柵が歪んでいるのは、手すりを滑り降りたり柵の間を登ったりして遊んだ子がいたからとのこと。確かに、折りたたみの普通タイプの小学校でもみーんな手すりで滑っていた(わたしもやっていた)んだから、螺旋状なんてやらないわけがない。
この曲線は左官職人さんの手塗り。下の方は整備士さんが車体を見るごとく寝ながら塗ったそう。柱も1本1本長さを変えて作られています。
真上。てっぺんはガラスになっていて、自然光がきれいに入ってくる構造です。
お2階です。1階の螺旋階段の写真にも写っている通りで、階段前の足下には階数表示があります。これは開校当時から埋め込まれている真鍮素材のものだそうです。すてき。
掲示物をマントに貼るとはなかなかいかしたセンスです。
2階から3階へ。いつまででもこの螺旋階段とともにある。その452: 佐世保要塞 石原岳堡塁【バースデー長崎4/7】 - 廃墟ガールの廃ログで見た螺旋を思い出します。
教室に入りました。当たり前だけど長方形じゃない~! なんだこの形は! 机もおもしろい置き方をされていました。いわゆるの「学校」に適用されている、右側廊下左側窓の常識が通用しません。午後は後ろの席の人の背中が暑そうです。
こんなところにもぶたちゃん! (いまお前が書いたんだ)
こちらは入口に図書館の文字プレートがかかっていました。
すべてが昭和の産物ではありません。2015年まで現役だったんだもの!
それでも「懐かしさ」を感じるアイテムはどことなく昭和の香りがあります。いやこの学校は明治開設ですけれどね。
3階からは体育館棟が見えました。見学はのちほど、わくわく。当時は各階とも連絡通路的に棟同士が繋がっていて行き来ができました。
4階、というか屋上階です。各階の足下にある真鍮の階数表示は④だけ絨毯で覆われてしまっていました。奇形ホルマリン猫同様に、「4時44分に④の表示を踏んだら女の鳴き声が聞こえる」という七不思議があったそう。面白い~! どうしてこう学校ってそういうのが自然発生するのでしょうね。わたしの母校にもあった。
天井のガラス部分が近い。日中はあったかそうな階です。絵鞆っ子広場なので、ゆとろぎ室というか、休み時間や放課後に児童が集まって遊んだり喋ったりする場所だったと予想。
ぐるぐる、見ていて飽きません。
屋上! 旧下谷小学校のときもそうでしたが、ここまで一般無料開放なのは太っ腹すぎます。
高い建物が見あたらない……そもそも、円形校舎が北海道に多いのは地形が関係していて、海沿いかつ山際で限られた平地をいかに効率よく使っていくかを極めた結果が四角形ではなくて三角形、体育館も一般教室の上に建てる、などだったそう。似たような山際海沿いの神戸にも円形校舎はあったらしいです。納得の理由! そして、そんな効率性から生まれる価値ある建造物!
もう無料部分でもお腹いっぱいですが、体育館棟へ移ります。いまは別の建物扱いですので、一旦玄関を出て仕切り直し。
入ってすぐレコード入れがありました。行進曲、効果音、運動会などのカテゴリ分けがされています。ほかの廃校になった小学校から持ってきたアイテムだそうですが、もちろん雰囲気抜群、馴染むに決まっています。
最後の赤丸が過激な😠ちゅうい😠
さまざな方が制作されたグッズも売っていました。体育館棟保存に向けて実施したクラウドファンディングのリターンだったりするもよう。そんな光景が高橋薬店の鏡越しにうかがえます。
用務員さんの宿直室とお風呂。
そして、やっとエリア真ん中部分へ。校舎棟との大きな違いは螺旋階段がないところです。だから柱の数も違うんですって。螺旋階段は圧倒的にお美しいけれど、円形の天井や建物の構造がよくわかるこの景色も素敵!
給食職員室は畳づくりでしたか、円形校舎だあら多角形空間にどうしてもなってしまうので、畳も中途半端な配置に工夫されています。
ご近所の科学館からきた子もいました。
職員室です。児童が1600名なら先生も相当数になるので、ここに全先生が拠点を置くのは難しかったのではないでしょうか。
先生の人数もそうですが、忘れちゃいけないここは円柱の中なのです。床のシートだってこの塩梅。四角い机を並べて置くのは骨が折れそう。
職員室と直通の放送・印刷室。手書きフォントかわいい~!
思わぬ機械的な廃の摂取、新鮮でした。
貴重な当時の地図だそうです。児童数が増え、円形校舎に続いて伸びるカステラの見た目の通常校舎もあったみたい。どうやってこの2棟で1600人も?! と思っていたのでほっとしました。
羽根ペンとインク、こちらの掲示板もセンスがあります。
理科室! 外周のカーブに合わせて蛇口を作るのもひと手間だったそう。
わたし的この学校一面白い部分はこちら。特別教室は一般教室ふたつ分の広さでできていて、通常教室の並びが完成したあとに特別教室仕様にしたので、もともとのひと区画の境目が非常に顕著に現れています。
だから黒板も下の棚もぶったぎられているのです!! なにこれ!!! 面白すぎる!! このまま何食わぬ顔で使っている先生も児童もすごい!!!! 養老天命反転地じゃないか!!!! 使われているのはよぞら柄の型板ガラスだし!!!! (cf.ベッドやソファぶったぎり→その27:養老天命反転地【フォトジェニック】 - 廃墟ガールの廃ログ)
棚の中を通れば真ん中を仕切るドアが閉まっていても行き来できますね。小学生なら秘密の通路として開拓せざるを得ない!!
あ、赤平炭鉱にも飾ってあった地質表みたいのがある。
ちなみに図工室も、
音楽室もこの構造でした。もともとの教室のそれぞれの出入口が近いのはなんら違和感ありませんが、中が繋がっているとなれば話は別、おもしろ構造にしかならない!! こんな至近距離でドアが2択なの面白すぎる!!! テンション上がりまくりでした!!!
開校から2015年の閉校まで、絵鞆小学校に携わったすべての職員さんが載っている年表。圧巻です! 母校にはこんなのありませんでした。用務員さんや給食職員さんまで載っていました。
校舎棟からも見えた元連絡通路。そしてついに3階の体育館へ向かいます。
満を持して、ラスボス感がすごいです。ぜーんぶ職人さんが1本1本鉄骨を固定していったんですって。体育館棟はさすがに完成まで1年かかっています。なんてかっこいいの。
当時は材料費よりも人件費が安い時代で、どう諸々の項目を効率よく造ってゆくかと考えたときに、そんなやり方が通ったのだそうです。いまではもちろん材料費と人件費の価値は逆転していますから、そんな創り方はできません。
このへんはちょっと案件臭がしますね。(cf.案件……良き被写体となるように残留物に手が加えられていること→その223:the Hotel Cadillac House【清里遠足レポート⑩】 - 廃墟ガールの廃ログ、その394:化女沼レジャーランド【画像大量2/3】 - 廃墟ガールの廃ログ、その507: 【画像大量】杉浦醫院【撮りすぎ山梨7】 - 廃墟ガールの廃ログ、その525:KOA【爆走海道4-2/6】 - 廃墟ガールの廃ログ)
バスケットコートはちょっぴり体育館の床からはみ出していました。円形に造るから……旧下谷小学校も屋上に50メートル走トラックが線取りされていたりと、わかりやすい工夫です。
ステージにも登った。
照明器具も充実です。
惚れ惚れしますが、永遠にここにいるわけにもいきません。空気を吸って、お暇するとします。
屋根など耐震性に問題があり、ちゃんとした建物としての開放はまだ先のようですが、それでも柵をつけたり、保存に向けての活動は絶えず進んでいるそうです。赤平炭鉱もそうでしたが、ただ見たまま感じるままをメモしておくのではなく、たまにはこうやって背景を知ったうえで味わうのも良いなと思える見学ツアーでした。
また行きたいです。